ぶらくり会29年7月例会(第190回)報告 講演テーマ:『走姿顕心(そうしけんしん)』
ぶらくり会29年7月例会(第190回)報告

開催日時:7月13日(木)午後6時30分~午後8時
開催場所:神戸市産業振興センター 801号室
講 師:鹿多 証道(シカタ ショウドウ)様
浄土真宗本願寺派妙正寺第19世住職
高校野球連盟公式審判員
講演テーマ:『走姿顕心(そうしけんしん)』
=走っている姿に、そのままその人の心が顕われる=
出席者数 :16名
7月度のぶらくり会は、浄土真宗本願寺派妙正寺の第19世住職で高校野球連盟公式審判員でもあられる鹿多証道様に講師となって頂き、『走姿顕心』というテーマで高校野球に纏わるお話をして頂きました。
講師は他にも、高校教員、加古川市社会教育委員長や多くの公職に就かれているとともに本願寺派仏教音楽研究所スタッフ、音楽の館コンサート協会専属司会者、音楽解説、近隣自治体主催の各種講習会講師等幅広く活躍されています。
高校野球は今年の夏の大会が第99回大会、春の選抜が第89回大会ですが、講師は、今現在は甲子園には立たれていないそうですが、約40年の間に47回にも及ぶ大会の審判員をされてきたそうです。そして目の前で繰り広げられる数々の名勝負を目の当たりにして、審判員としての立場からその時々に感じたことや、野球に纏わる様々な蘊蓄を披露して頂きましたので以下にその概略を紹介します。
スポーツ競技は走ることが基本ですが、「走り」にも、「駆け足」、「ダッシュ」、「全力疾走」等の種類があり、限られた時間で活動を行う、無駄をなくす、相手を待たせないとの観点よりこれらの「走り」をうまくとり合わせその時々の状況に応じて走ることが重要とのことです。
アメリカで誕生したベースボール(Baseball)を野球と和訳したのは松山が生んだ俳人正岡子規であることは多くの方がご存知のところですが、なぜベースボール=野球なのか。直訳すれば壘球(塁球)でよかったのではと思いますが、これには子規の本名が関係しているそうです。子規の本名は正岡升(マサオカ ノボル)ですが、ノボル≒野ボール=野球となったようです。
アメリカに纏わる話として、ソフトボールについてもちょっとしたお話がありました。ソフトボールは形式もルールも野球を小型化したようなものですが、これはそもそも空母の甲板で野球をやろうとの発想から誕生したものだそうです。
高校野球連盟のマークをご存知でしょうか。ホームベースの中にFを丸で囲んだ形になっていますが、これは、Fight、Friendship、FairplayそしてFederationのそれぞれの意味をこめているのだそうです。
夏の甲子園のテーマソング(入場行進曲)「栄冠は君に輝く」は古関裕而さんによって作曲されましたが、第21回大会(1948年)より演奏されているそうです。
戦前戦中の古関さんは、「勝ってくるぞと勇ましく・・・」で始まる「露営の歌」を始めとした戦時歌謡を多く作りましたが、戦地に送られ戦死する人たちに対して申し訳ないとの自責の念から戦後は「長崎の鐘」、「とんがり帽子」等の戦争犠牲者に対する鎮魂歌や東京オリンピックマーチ等多くの名曲を作り出しています。慶応大学や早稲田大学の応援歌も古関さんの作曲だそうですし、プロ野球の阪神ターガースの応援歌、通称「六甲颪」や、巨人軍の歌、ドラゴンズの歌等多くのスポーツ関係の歌を手掛けられています。
間もなく夏の甲子園大会が始まりますが、甲子園での大会でエポックになった試合がいくつかあったそうですのでそれらを紹介したいと思います。
まず、5回にグランド整備ということで試合が中断されますが、これは夏の69回大会から始まったそうで、試合中は水分不足気味になる審判団の給水、休憩の時間の意味合いもあるそうです。
次に80回の夏の大会は松坂大輔投手を擁する横浜高校が優勝した年です。決勝では松坂投手がノーヒットノーランを成し遂げましたが、準々決勝ではPLと延長17回、3時間19分の熱戦が繰り広げられました。この試合がきっかけとなり翌年の71回選抜大会より延長15回で引き分け再試合の仕組みが取り入れられたそうです。
また、同じ80回夏の大会より、今ではポピュラーになっているバッターのアウトカウントをプロ野球に先駆けて、ボールより先に言い、ストライクを次に言う方法に変更したそうであります。なお、スコアボードの表示が、B(ボール)、S(ストライク)、O(アウト)に変更になったのはそれから12年後の83回選抜大会からだそうです。
なお、アメリカでは当初よりB、S、Oの順でカウントしているそうです。
88回夏の大会はハンカチ王子こと斎藤佑樹投手の早稲田実業とマー君こと田中将大投手の駒大苫小牧の決勝引き分け再試合で大いに盛り上がった年でしたが、この年の秋には兵庫県で「のじぎく国体」が開催されました。そして高砂球場では夏の大会と同じ組み合わせの高校硬式野球の決勝が行われ、ハンカチ王子とマー君の対戦ということで徹夜組も出るほど大いに盛り上がりました。結果は1対0で夏の大会と同じく早稲田実業の優勝となりましたが、高砂球場はハンカチ王子に因んで「ハンカチメモリアルスタジアム」の愛称を冠しております。
講師によると、試合中にみたハンカチ王子の印象としては、キチットしたマナーを身に着け、身だしなみがしっかりとし、多くを話すことはなく、プロというよりはアマチュアの
方が向いているのではないかと思ったとのことでした。
以上が、講師よりお話頂いた高校野球に纏わる主な話ですが、おりしも和歌山大学硬式野球部が神宮大会で大活躍し、和大の名前を全国に広めてくれたこともあって、我田引水ではありますが、まさに時宜を得たテーマのぶらくり会であったと思っております。
以上
ぶらくり会世話人 平林 義康(大学20期)




開催日時:7月13日(木)午後6時30分~午後8時
開催場所:神戸市産業振興センター 801号室
講 師:鹿多 証道(シカタ ショウドウ)様
浄土真宗本願寺派妙正寺第19世住職
高校野球連盟公式審判員
講演テーマ:『走姿顕心(そうしけんしん)』
=走っている姿に、そのままその人の心が顕われる=
出席者数 :16名
7月度のぶらくり会は、浄土真宗本願寺派妙正寺の第19世住職で高校野球連盟公式審判員でもあられる鹿多証道様に講師となって頂き、『走姿顕心』というテーマで高校野球に纏わるお話をして頂きました。
講師は他にも、高校教員、加古川市社会教育委員長や多くの公職に就かれているとともに本願寺派仏教音楽研究所スタッフ、音楽の館コンサート協会専属司会者、音楽解説、近隣自治体主催の各種講習会講師等幅広く活躍されています。
高校野球は今年の夏の大会が第99回大会、春の選抜が第89回大会ですが、講師は、今現在は甲子園には立たれていないそうですが、約40年の間に47回にも及ぶ大会の審判員をされてきたそうです。そして目の前で繰り広げられる数々の名勝負を目の当たりにして、審判員としての立場からその時々に感じたことや、野球に纏わる様々な蘊蓄を披露して頂きましたので以下にその概略を紹介します。
スポーツ競技は走ることが基本ですが、「走り」にも、「駆け足」、「ダッシュ」、「全力疾走」等の種類があり、限られた時間で活動を行う、無駄をなくす、相手を待たせないとの観点よりこれらの「走り」をうまくとり合わせその時々の状況に応じて走ることが重要とのことです。
アメリカで誕生したベースボール(Baseball)を野球と和訳したのは松山が生んだ俳人正岡子規であることは多くの方がご存知のところですが、なぜベースボール=野球なのか。直訳すれば壘球(塁球)でよかったのではと思いますが、これには子規の本名が関係しているそうです。子規の本名は正岡升(マサオカ ノボル)ですが、ノボル≒野ボール=野球となったようです。
アメリカに纏わる話として、ソフトボールについてもちょっとしたお話がありました。ソフトボールは形式もルールも野球を小型化したようなものですが、これはそもそも空母の甲板で野球をやろうとの発想から誕生したものだそうです。
高校野球連盟のマークをご存知でしょうか。ホームベースの中にFを丸で囲んだ形になっていますが、これは、Fight、Friendship、FairplayそしてFederationのそれぞれの意味をこめているのだそうです。
夏の甲子園のテーマソング(入場行進曲)「栄冠は君に輝く」は古関裕而さんによって作曲されましたが、第21回大会(1948年)より演奏されているそうです。
戦前戦中の古関さんは、「勝ってくるぞと勇ましく・・・」で始まる「露営の歌」を始めとした戦時歌謡を多く作りましたが、戦地に送られ戦死する人たちに対して申し訳ないとの自責の念から戦後は「長崎の鐘」、「とんがり帽子」等の戦争犠牲者に対する鎮魂歌や東京オリンピックマーチ等多くの名曲を作り出しています。慶応大学や早稲田大学の応援歌も古関さんの作曲だそうですし、プロ野球の阪神ターガースの応援歌、通称「六甲颪」や、巨人軍の歌、ドラゴンズの歌等多くのスポーツ関係の歌を手掛けられています。
間もなく夏の甲子園大会が始まりますが、甲子園での大会でエポックになった試合がいくつかあったそうですのでそれらを紹介したいと思います。
まず、5回にグランド整備ということで試合が中断されますが、これは夏の69回大会から始まったそうで、試合中は水分不足気味になる審判団の給水、休憩の時間の意味合いもあるそうです。
次に80回の夏の大会は松坂大輔投手を擁する横浜高校が優勝した年です。決勝では松坂投手がノーヒットノーランを成し遂げましたが、準々決勝ではPLと延長17回、3時間19分の熱戦が繰り広げられました。この試合がきっかけとなり翌年の71回選抜大会より延長15回で引き分け再試合の仕組みが取り入れられたそうです。
また、同じ80回夏の大会より、今ではポピュラーになっているバッターのアウトカウントをプロ野球に先駆けて、ボールより先に言い、ストライクを次に言う方法に変更したそうであります。なお、スコアボードの表示が、B(ボール)、S(ストライク)、O(アウト)に変更になったのはそれから12年後の83回選抜大会からだそうです。
なお、アメリカでは当初よりB、S、Oの順でカウントしているそうです。
88回夏の大会はハンカチ王子こと斎藤佑樹投手の早稲田実業とマー君こと田中将大投手の駒大苫小牧の決勝引き分け再試合で大いに盛り上がった年でしたが、この年の秋には兵庫県で「のじぎく国体」が開催されました。そして高砂球場では夏の大会と同じ組み合わせの高校硬式野球の決勝が行われ、ハンカチ王子とマー君の対戦ということで徹夜組も出るほど大いに盛り上がりました。結果は1対0で夏の大会と同じく早稲田実業の優勝となりましたが、高砂球場はハンカチ王子に因んで「ハンカチメモリアルスタジアム」の愛称を冠しております。
講師によると、試合中にみたハンカチ王子の印象としては、キチットしたマナーを身に着け、身だしなみがしっかりとし、多くを話すことはなく、プロというよりはアマチュアの
方が向いているのではないかと思ったとのことでした。
以上が、講師よりお話頂いた高校野球に纏わる主な話ですが、おりしも和歌山大学硬式野球部が神宮大会で大活躍し、和大の名前を全国に広めてくれたこともあって、我田引水ではありますが、まさに時宜を得たテーマのぶらくり会であったと思っております。
以上
ぶらくり会世話人 平林 義康(大学20期)


