ぶらくり会(勉強会)11月の例会
ぶらくり会(勉強会)
11月の例会は11月8日(火)午後6時半からいつもの神戸市勤労会館で開催されました。
講師には和歌山大学教育学部 准教授の高橋 健一先生にお願いをいたしました。
テーマは「和歌山高等商業学校と美術」です。先生は7月23日(土)に開催された大阪支部総会の席上
で、同様のテーマで講演をされています。高商発足当時のDNAを感じたと会員から大好評だったとの話
を聞き、神戸でも是非、講義を拝聴したいと思い、お願いした次第です。
大きい写真はクリックしてご覧下さい↓

高橋先生は大学の研究者情報によれば、東北大学文学部修士課程卒、テーマは美学・美術史、専門分野は
イタリア美術史・美術批判史との事です。
先生がこの日、神戸での講演に来る前に時間があったので、小野市にある浄土寺の浄土堂と堂内の安置され
ている阿弥陀如来像を拝観してきたとの話をされました。さすが美術史の専門家だと感銘を受けました。
私も兵庫県内で一番大好きな仏像はこの浄土寺の阿弥陀如来像です。6月~8月の夕方4時~5時頃に、
夕日を背に受けて、光り輝く阿弥陀来迎図はすばらしい一語に尽きます。
本題に入ります。
和歌山大学経済学部所蔵の油絵2点が和歌山県立近代美術館の名品展覧会に展示されたとの事です。ほかにも
数点あるようですが、修復作業を必要とするようです。展示されたのは津田清楓の『教会堂』と児島虎次郎の
『白耳義ガン市々場』の2点です。
当時から高名な画家の作品がなぜ和歌山商業高等学校の所蔵となったのか、先生の推理が始まります。
津田清楓
華道家で去風流家元の西川一葉の息子として京都市に生まれる。兄の西川一草亭も華道家で去風流家元。
はじめ四条派の升川友広に日本画を師事し、1897年、関西美術院に入学。1907年から農商務省海外
実業実習生として安井曾太郎と共にパリの留学し、アカデミー・ジュリアンにてジャン・ポール・ローランス
に師事。アールヌーヴォーの影響を受ける。1909年に帰朝。1913年に文展を脱退し、1914年、二科会
創設に参加。1929年、京都市東山区に津田洋画塾を開く。のち友人河上肇の影響でプロレタリア運動に加わり、
1931年、第18回ニ科展に、立派に聳え立つ国会議事堂と粗末な庶民の家屋群を対比させた「ブルジョワ議会
と庶民の生活」を出品したが警察当局の圧力により「新議会」と改題させられた。のち転向して二科会から脱退し、
洋画から日本画に転じる。
親友に夏目漱石がおり、漱石に油絵を教えた他、漱石の「虞美人草」「道草」や森田草平の「十字街」などの装丁を
手がけた。山梨県笛吹市に清楓美術館がある。
清楓の経歴の中に河上肇との接点があります。そして和歌山高商の初代校長・岡本一郎は河上肇とは同郷であり、
学問的にも京都帝大時代から親交があった。そんな縁で清楓の「教会堂」が和歌山高商の所蔵となったのではないかと
思われる。
永くなったので、児島虎次郎の経歴は省略しますが、倉敷の大原美術館・大原孫三郎の支援をうけ、ヨーロッパ留学中
に画家・須田国太郎と知り合う。この須田国太郎、後に和歌山高商の美術の教師となるのですが、その縁で「白耳義ガン市々場」
を所蔵するようになったのではないかと推定されます。以上の講演が有りました。これから成長して行こうとする
和歌山高等商業学校の熱気がこれらの絵画を引き寄せたのかもしれません。
ご挨拶
宮本隆夫が世話役を平成15年7月から引き受けて参りましたが、今回の11月例会をもって退任させていただくことになりました。
来年24年1月からは神戸支部長・水田太一氏が担当してくれることになりました。私同様、ご支援をお願いいたします。
11月の例会は11月8日(火)午後6時半からいつもの神戸市勤労会館で開催されました。
講師には和歌山大学教育学部 准教授の高橋 健一先生にお願いをいたしました。
テーマは「和歌山高等商業学校と美術」です。先生は7月23日(土)に開催された大阪支部総会の席上
で、同様のテーマで講演をされています。高商発足当時のDNAを感じたと会員から大好評だったとの話
を聞き、神戸でも是非、講義を拝聴したいと思い、お願いした次第です。
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高橋先生は大学の研究者情報によれば、東北大学文学部修士課程卒、テーマは美学・美術史、専門分野は
イタリア美術史・美術批判史との事です。
先生がこの日、神戸での講演に来る前に時間があったので、小野市にある浄土寺の浄土堂と堂内の安置され
ている阿弥陀如来像を拝観してきたとの話をされました。さすが美術史の専門家だと感銘を受けました。
私も兵庫県内で一番大好きな仏像はこの浄土寺の阿弥陀如来像です。6月~8月の夕方4時~5時頃に、
夕日を背に受けて、光り輝く阿弥陀来迎図はすばらしい一語に尽きます。
本題に入ります。
和歌山大学経済学部所蔵の油絵2点が和歌山県立近代美術館の名品展覧会に展示されたとの事です。ほかにも
数点あるようですが、修復作業を必要とするようです。展示されたのは津田清楓の『教会堂』と児島虎次郎の
『白耳義ガン市々場』の2点です。
当時から高名な画家の作品がなぜ和歌山商業高等学校の所蔵となったのか、先生の推理が始まります。
津田清楓
華道家で去風流家元の西川一葉の息子として京都市に生まれる。兄の西川一草亭も華道家で去風流家元。
はじめ四条派の升川友広に日本画を師事し、1897年、関西美術院に入学。1907年から農商務省海外
実業実習生として安井曾太郎と共にパリの留学し、アカデミー・ジュリアンにてジャン・ポール・ローランス
に師事。アールヌーヴォーの影響を受ける。1909年に帰朝。1913年に文展を脱退し、1914年、二科会
創設に参加。1929年、京都市東山区に津田洋画塾を開く。のち友人河上肇の影響でプロレタリア運動に加わり、
1931年、第18回ニ科展に、立派に聳え立つ国会議事堂と粗末な庶民の家屋群を対比させた「ブルジョワ議会
と庶民の生活」を出品したが警察当局の圧力により「新議会」と改題させられた。のち転向して二科会から脱退し、
洋画から日本画に転じる。
親友に夏目漱石がおり、漱石に油絵を教えた他、漱石の「虞美人草」「道草」や森田草平の「十字街」などの装丁を
手がけた。山梨県笛吹市に清楓美術館がある。
清楓の経歴の中に河上肇との接点があります。そして和歌山高商の初代校長・岡本一郎は河上肇とは同郷であり、
学問的にも京都帝大時代から親交があった。そんな縁で清楓の「教会堂」が和歌山高商の所蔵となったのではないかと
思われる。
永くなったので、児島虎次郎の経歴は省略しますが、倉敷の大原美術館・大原孫三郎の支援をうけ、ヨーロッパ留学中
に画家・須田国太郎と知り合う。この須田国太郎、後に和歌山高商の美術の教師となるのですが、その縁で「白耳義ガン市々場」
を所蔵するようになったのではないかと推定されます。以上の講演が有りました。これから成長して行こうとする
和歌山高等商業学校の熱気がこれらの絵画を引き寄せたのかもしれません。
ご挨拶
宮本隆夫が世話役を平成15年7月から引き受けて参りましたが、今回の11月例会をもって退任させていただくことになりました。
来年24年1月からは神戸支部長・水田太一氏が担当してくれることになりました。私同様、ご支援をお願いいたします。