ぶらくり会27年11月例会報告 講演テーマ:「俳句を楽しむ」
ぶらくり会27年11月例会報告
開催日時:11月18日(水)午後6時30分~午後8時
開催場所:神戸市産業振興センター 801会議室
講 師:寺西 建舟(てらにし けんしゅう)様
和歌山大学経済学部 17期卒
俳句会「神杖」(こうづえ)主宰
講演テーマ:「俳句を楽しむ」
出席者数:14名
今月の例会は、和歌山大学経済学部17期の卒業で俳句会「神杖」(こうづえ)を主宰されている寺西建舟様を講師にお招きし、「俳句を楽しむ」というテーマでご講演頂きましたのでその概要をご報告致します。

講師からは俳句の歴史、俳句の楽しみ方を中心にお話をしていただきました。
まず、俳句の歴史、現代俳句への道程、についてお話をして頂きました。
俳句は、それまでの「五七五」と「七七」を二人あるいは複数人で歌う貴族や上流階級の楽しみであった和歌の連歌を、室町時代に入り、山崎宗鑑と荒木田守武が庶民にも拓かれ、より気軽に楽しめるようにと滑稽・洒脱にした芸術、文芸であり、俳諧の連歌として栄えたとのことです。
俳諧の連歌は、江戸時代に入ると松永貞徳によって大成され、一門による俳諧連歌は「貞門派」と呼ばれ一時代を築き、堅苦しい正統の連歌をしのぐ程の人気を誇ることとなりました。しかしやがて「貞門派」は「古風」となり「談林派」という「新風」にその地位を奪われました。「談林派」には西山宗因を筆頭に井原西鶴らが参画したが十年ほどで最盛期を終えたのでした。
その後、一時「談林派」に参画していた松尾芭蕉があらわれ、「蕉風」と呼ばれる作風を示し、俳諧を芸術にまで高めました。なかでも単独で鑑賞に堪え得る自立性の高い発句を数多く詠んだことが後世の俳句の源流となったのでした。
有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」は元々「山吹や蛙飛んだる水の音」だったそうです。和歌で使い古された貴族臭芬々たる「山吹や」や、世俗的、大衆的な「飛んだる」という表現を嫌い、詫び、寂び、静寂感を含んだ「古池や・・・」に変えられたとのことです。
そして江戸俳諧中興の祖といわれ「菜の花や月は東に日は西に」で有名な与謝蕪村があらわれました。この句は、「菜の花」=地と、「月」「日」=天という高低と宇宙、昇りくる月、沈みゆく日の東西の拡がり、そして一日の時間経過をも物語っており、このように俳句は僅か17音で高遠な時空間までをも詠み込むことができるとの解説でした。
蕪村より少し遅れて「やせ蛙まけるな一茶これにあり」の小林一茶があらわれました。
明治に入ると正岡子規が登場します。子規は俳句を近代文学にまで高めました。
集団的創作である連句を否定し発句を俳句という個人文芸にしたのです。そして旧来の月並み、理屈、穿ち、低俗を排し、実景や実感に基づく写生を基本技法としました。
子規の後には、子規門の双璧といわれた河東碧梧桐と高浜虚子が出てきます。自由律俳句の碧梧桐と正統派の虚子とそれぞれ排風は異なっていました。
碧梧桐は個性的感覚で対象を把握しやがて形式や季題を否定し破壊してゆく俳句を詠みました。萩原朔太郎や種田山頭火らが彼の流れを受け継いでいるそうです。
一方、虚子は定型、季題、を尊重し、俳句の理念として花鳥諷詠・客観写生を提唱しました。
俳句は俳諧の連歌から始まって現代の俳句に至るまで折々の流行があったようですが、芭蕉はいつまでも変化しない本質的なものを尊重しつつ、新しい変化を取り入れていくという「不易流行」という理念を考えるに至ったそうです。
俳句の歴史は、芭蕉をスタートに、蕪村、子規と概ね100年ごとにその時代を代表する俳人が出て、俳句革新がなされてきたわけですが 子規没後100年を経た今日、そろそろまた俳句革新をもたらす俳人が現れてもいいという頃になりますが、さていかがなものでしょうか。
現代の俳壇は大きく3つの協会(伝統俳句協会、俳人協会、現代俳句協会)があるそうですが、高齢化が進んでいるとのことです。
一方で18~19年前に始まった俳句甲子園に象徴されるように高校生の時から俳句を始める人も出てきているとのことです。
次に俳句の楽しみ方についてお話頂きました。
子規は俳句のことを「簡単に過ぎて其の意を尽くさざる形式である。つまり一種片言に近い形式であるために、いっそういろんな読み方を誘い出す。これ実に俳句の欠点なり。而して俳句の長所亦ここに存す。」といったそうです。
講師は、俳句の良さ、楽しみ方について以下のいくつかの点をあげられました。
その第一は、その短さにあり、覚えやすく、日本人に沁みついた575のリズムがあり、たった十七音字だから、その気になれば誰でも書ける点です。
また、俳句は見たもの、感じたものをとりあえず575で表し、ひとつの完結した文芸作品になる点で達成感、創作のよろこびを感じることができます。内容中身や質の充実向上を工夫して仕上げていく=推敲=よろこびを感じることができます。
さらに、自分の作品が句会等で評価され、作品が活字になり新聞や雑誌、本に掲載される等、評価されるよろこびを感じることができます。句集出版などの本にし、自分史を綴ることもできます。
講師は、いつも自然と向き合い季節(四季)を感じ実際に俳句を作りましょうと勧められています。
俳句作りのひとつのコツは、言いたいことをストレートに全部言おうとしないで、イメージやリズムに変換したりすることだそうです。例えば、「桜咲くどこかへ行って一杯を」は「さくら咲く二、三の友に電話する」のように。
また、写生は出来るだけ繊細な感覚で景やモノを捉えるように、カメラマンの眼と丁寧な言葉描写で作句することだそうです。「缶コーヒー取り出し口の落葉かな」。
俳句は作るだけでなく読む楽しみ、謎解きの楽しみ、鑑賞や選句の楽しみもあるといわれます。
いくつかの俳句を紹介頂きましたが、つぎのような俳句は如何でしょうか。
・三月の甘納豆のうふふふふ
・Tシャツにまづ頭生え両手生え
・おじんにはおじんの流儀花茗荷
・いい人をやめたら気楽セロリ噛む
・恋文の起承転転さくらんぼ
・ダリの絵の時計の捻じれ十二月
・妻の字が毒に似ている蛇苺
・オトコエシメシハガツガツショクスベシ
それぞれの句はそれなりの人が作ったもので、思わず頷いてしまうものや、首をかしげるものまで人それぞれ感じ方は違うかもしれませんが、基本を正しく学ぶことで、一層読む楽しさと俳句の奥深さがわかるようになるとのこと。
一説によると、一日一句を作るだけで前頭前野を刺激することになり認知症予防になるというお話もあります。また、作句の際には、過去の体験を思い出し五感全てを総動員するため認知症治療にも役立つともいわれています。
いずれにしても、俳句は人生を楽しむ、人生を豊かにすることに繋がると思います。
みなさん、今からでも遅くはないと思います。俳句を始めませんか。
寺西建舟講師よりメッセージです。
四季の季節の中で自然と共生し、芸術性と庶民性を兼ね備えたものが俳句です。
「神杖俳句会」で、仲間と一緒に俳句を始めませんか?
「俳句を楽しみ俳句に学ぶ」をモットーに、毎月句会と、俳句講座で句座を囲み
楽しんでおります。
俳句の基礎から学ぶところは学んで頂き、俳句の多様性を楽しんで頂けます。
初心者の方も大歓迎です。
神杖俳句会 090-3350-9041 までどうぞ。
ぶらくり会世話人 平林 義康(大学20期)
開催日時:11月18日(水)午後6時30分~午後8時
開催場所:神戸市産業振興センター 801会議室
講 師:寺西 建舟(てらにし けんしゅう)様
和歌山大学経済学部 17期卒
俳句会「神杖」(こうづえ)主宰
講演テーマ:「俳句を楽しむ」
出席者数:14名
今月の例会は、和歌山大学経済学部17期の卒業で俳句会「神杖」(こうづえ)を主宰されている寺西建舟様を講師にお招きし、「俳句を楽しむ」というテーマでご講演頂きましたのでその概要をご報告致します。

講師からは俳句の歴史、俳句の楽しみ方を中心にお話をしていただきました。
まず、俳句の歴史、現代俳句への道程、についてお話をして頂きました。
俳句は、それまでの「五七五」と「七七」を二人あるいは複数人で歌う貴族や上流階級の楽しみであった和歌の連歌を、室町時代に入り、山崎宗鑑と荒木田守武が庶民にも拓かれ、より気軽に楽しめるようにと滑稽・洒脱にした芸術、文芸であり、俳諧の連歌として栄えたとのことです。
俳諧の連歌は、江戸時代に入ると松永貞徳によって大成され、一門による俳諧連歌は「貞門派」と呼ばれ一時代を築き、堅苦しい正統の連歌をしのぐ程の人気を誇ることとなりました。しかしやがて「貞門派」は「古風」となり「談林派」という「新風」にその地位を奪われました。「談林派」には西山宗因を筆頭に井原西鶴らが参画したが十年ほどで最盛期を終えたのでした。
その後、一時「談林派」に参画していた松尾芭蕉があらわれ、「蕉風」と呼ばれる作風を示し、俳諧を芸術にまで高めました。なかでも単独で鑑賞に堪え得る自立性の高い発句を数多く詠んだことが後世の俳句の源流となったのでした。
有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」は元々「山吹や蛙飛んだる水の音」だったそうです。和歌で使い古された貴族臭芬々たる「山吹や」や、世俗的、大衆的な「飛んだる」という表現を嫌い、詫び、寂び、静寂感を含んだ「古池や・・・」に変えられたとのことです。
そして江戸俳諧中興の祖といわれ「菜の花や月は東に日は西に」で有名な与謝蕪村があらわれました。この句は、「菜の花」=地と、「月」「日」=天という高低と宇宙、昇りくる月、沈みゆく日の東西の拡がり、そして一日の時間経過をも物語っており、このように俳句は僅か17音で高遠な時空間までをも詠み込むことができるとの解説でした。
蕪村より少し遅れて「やせ蛙まけるな一茶これにあり」の小林一茶があらわれました。
明治に入ると正岡子規が登場します。子規は俳句を近代文学にまで高めました。
集団的創作である連句を否定し発句を俳句という個人文芸にしたのです。そして旧来の月並み、理屈、穿ち、低俗を排し、実景や実感に基づく写生を基本技法としました。
子規の後には、子規門の双璧といわれた河東碧梧桐と高浜虚子が出てきます。自由律俳句の碧梧桐と正統派の虚子とそれぞれ排風は異なっていました。
碧梧桐は個性的感覚で対象を把握しやがて形式や季題を否定し破壊してゆく俳句を詠みました。萩原朔太郎や種田山頭火らが彼の流れを受け継いでいるそうです。
一方、虚子は定型、季題、を尊重し、俳句の理念として花鳥諷詠・客観写生を提唱しました。
俳句は俳諧の連歌から始まって現代の俳句に至るまで折々の流行があったようですが、芭蕉はいつまでも変化しない本質的なものを尊重しつつ、新しい変化を取り入れていくという「不易流行」という理念を考えるに至ったそうです。
俳句の歴史は、芭蕉をスタートに、蕪村、子規と概ね100年ごとにその時代を代表する俳人が出て、俳句革新がなされてきたわけですが 子規没後100年を経た今日、そろそろまた俳句革新をもたらす俳人が現れてもいいという頃になりますが、さていかがなものでしょうか。
現代の俳壇は大きく3つの協会(伝統俳句協会、俳人協会、現代俳句協会)があるそうですが、高齢化が進んでいるとのことです。
一方で18~19年前に始まった俳句甲子園に象徴されるように高校生の時から俳句を始める人も出てきているとのことです。
次に俳句の楽しみ方についてお話頂きました。
子規は俳句のことを「簡単に過ぎて其の意を尽くさざる形式である。つまり一種片言に近い形式であるために、いっそういろんな読み方を誘い出す。これ実に俳句の欠点なり。而して俳句の長所亦ここに存す。」といったそうです。
講師は、俳句の良さ、楽しみ方について以下のいくつかの点をあげられました。
その第一は、その短さにあり、覚えやすく、日本人に沁みついた575のリズムがあり、たった十七音字だから、その気になれば誰でも書ける点です。
また、俳句は見たもの、感じたものをとりあえず575で表し、ひとつの完結した文芸作品になる点で達成感、創作のよろこびを感じることができます。内容中身や質の充実向上を工夫して仕上げていく=推敲=よろこびを感じることができます。
さらに、自分の作品が句会等で評価され、作品が活字になり新聞や雑誌、本に掲載される等、評価されるよろこびを感じることができます。句集出版などの本にし、自分史を綴ることもできます。
講師は、いつも自然と向き合い季節(四季)を感じ実際に俳句を作りましょうと勧められています。
俳句作りのひとつのコツは、言いたいことをストレートに全部言おうとしないで、イメージやリズムに変換したりすることだそうです。例えば、「桜咲くどこかへ行って一杯を」は「さくら咲く二、三の友に電話する」のように。
また、写生は出来るだけ繊細な感覚で景やモノを捉えるように、カメラマンの眼と丁寧な言葉描写で作句することだそうです。「缶コーヒー取り出し口の落葉かな」。
俳句は作るだけでなく読む楽しみ、謎解きの楽しみ、鑑賞や選句の楽しみもあるといわれます。
いくつかの俳句を紹介頂きましたが、つぎのような俳句は如何でしょうか。
・三月の甘納豆のうふふふふ
・Tシャツにまづ頭生え両手生え
・おじんにはおじんの流儀花茗荷
・いい人をやめたら気楽セロリ噛む
・恋文の起承転転さくらんぼ
・ダリの絵の時計の捻じれ十二月
・妻の字が毒に似ている蛇苺
・オトコエシメシハガツガツショクスベシ
それぞれの句はそれなりの人が作ったもので、思わず頷いてしまうものや、首をかしげるものまで人それぞれ感じ方は違うかもしれませんが、基本を正しく学ぶことで、一層読む楽しさと俳句の奥深さがわかるようになるとのこと。
一説によると、一日一句を作るだけで前頭前野を刺激することになり認知症予防になるというお話もあります。また、作句の際には、過去の体験を思い出し五感全てを総動員するため認知症治療にも役立つともいわれています。
いずれにしても、俳句は人生を楽しむ、人生を豊かにすることに繋がると思います。
みなさん、今からでも遅くはないと思います。俳句を始めませんか。
寺西建舟講師よりメッセージです。
四季の季節の中で自然と共生し、芸術性と庶民性を兼ね備えたものが俳句です。
「神杖俳句会」で、仲間と一緒に俳句を始めませんか?
「俳句を楽しみ俳句に学ぶ」をモットーに、毎月句会と、俳句講座で句座を囲み
楽しんでおります。
俳句の基礎から学ぶところは学んで頂き、俳句の多様性を楽しんで頂けます。
初心者の方も大歓迎です。
神杖俳句会 090-3350-9041 までどうぞ。
ぶらくり会世話人 平林 義康(大学20期)
