ぶらくり会令和元年11月例会(第201回)報告
ぶらくり会令和元年11月例会(第201回)報告
開催日時:11月16日(水)午後2時00分~午後5時
開催場所:神戸市産業振興センター 801会議室
講師:小田 章(おだ あきら)先生
元和歌山大学学長
元和歌山大学経済学部長
(略歴)
1943年(昭和18年)大阪市生まれ
1962年(昭和37年)大阪府立清水谷高校卒業
1971年(昭和46年)神戸大学大学院経営学研究科博士課程1年退学、
経営学修士(ドイツ経営学)
1971年(昭和46年)和歌山大学経済学部助手
1985年(昭和60年)和歌山大学経済学部教授
1995年(平成 7年)和歌山大学経済学部長
2001年(平成13年)和歌山大学副学長
2002年(平成14年)和歌山大学長就任(第14代)
2009年(平成21年)和歌山大学長退任
2010年(平成22年)和歌山市長選立候補
2018年(平成30年)瑞宝中綬章受章
講演テーマ:『和歌山大学経済学部の変遷と今後の展開について』
出席者数:17名
11月度ぶらくり会は和歌山大学長および和歌山大学経済学部長を歴任された小田章先生に講師となって頂き、和歌山大学および和歌山大学経済学部のこれまでの歩みと今後の進むべき道あるいは進むであろう方向について先生のお考えを拝聴しましたのでその概要を報告したいと思います。
先生のお話をご披露する前に、先ずは、和歌山大学経済学部を中心に、和歌山大学のこれまでの歩みをおさらいしたいと思います。
皆様ご存知のように和歌山大学経済学部は1922年(大正11年)に設立された和歌山高等商業学校にそのルーツがあります。それ以来97年の歳月の中で様々な変遷がありました。
まずは、国立大学設置法により1949年(昭和24年)に国立大学和歌山大学経済学部が誕生します。その後、1964年(昭和39年)に経済学科と経営学科の2学科が、翌年1965年(昭和40年)には産業工学科が設置され、経済学部は3学科から成り立つこととなりました。
経済学部の一学科であった産業工学科は、経済短期大学部の閉学に伴い設置された社会システム設計学科とともに1995年(平成7年)にシステム工学部に、その際、新たに経済学部に設置された夜間コース(定員60名)を廃止し、2007年(平成19年)に経済学部の一学科として観光学科が設置され、翌年には観光学部として誕生しました(2008年(平成20年))。
各学部の学科は最も多いときで経済学部が5学科、システム工学部が5学科、観光学部が2学科ありましたが、2014年(平成26年)から2015年(平成27年)にわたってそれぞれ1学科に再編されました(経済学科、システム工学科、観光学科)。
一方、大学院につきましては、1965年(昭和49年)に経済学研究科、2000年(平成16年)にシステム工学研究科、2011年(平成23年)に観光学研究科のいずれも修士課程が設置されていますが、その後、博士課程が設置されたのは、システム工学研究科と観光学研究科だけであり、残念ながら経済学研究科には未だ博士課程が設けられておりません。
和歌山大学経済学部をベースとする各学部の大まかな歩みは上記の通りですが、1987年(昭和62年)に、経済学部と教育学部に加えて第3の学部(現システム工学部)を設置するために、文科省の指示で学舎統合が行われ、経済学部は高松キャンパスから、教育学部は吹上キャンパスから栄谷キャンパスへと移転統合しました。更に、2004年(平成16年)には、我が国の国立大学には法人化という大きなうねりが押し寄せ、すべての国立大学が右往左往の状態に陥りました。その法人化の渦の中でのカジ取りに力を発揮されたのが小田先生であったわけです。
それでは、小田先生のご講演の概要を報告致します。
小田先生は経済学部長、副学長、学長時代を通じて様々な改革を推進されてきたそうですが、学長時代に推進された主なものを先生のご用意されたレジュメから抜粋します。
<教育分野>
①学生満足(SS=Student Satisfaction)をスローガンとして掲げ、そのため以下の各施策を推進(企業でいうところのCS(顧客満足))
-学生のニーズにあったカリキュラム編成
-教育力向上のために教員の意識改革
-無休講・授業時間の厳守
-教務システムの全学統一化・・・人件費削減、他
②人材育成の推進
-深い知力、洞察力を持ち、豊かな人間力を持った人材を輩出させる。
③新しい教育システムの構築
-モデル的教育システムの開発
経済学部にエキスパート・コースを設け、学習意欲の高い学生に高度な知識を提供すると
いうもの(最初は390人中60人を選抜)・・・学部内で少人数教育を実施し、最終的
には学部生全員に拡大することを意図している。
-全学協力体制の実現
学部間受講規制の緩和、学部間移動の緩和(転学部制度)、教養教育の全学実施体制の強
化
-教員による教員の授業参観・・・教員力アップ作戦
<研究分野>
①オンリーワン教育の支援
-文科省のCOEを獲得する研究を支援
(COE=Center of Excellence、世界最高水準研究教育拠点)
-外部評価制度を導入して大学内COEを立上げ、オンリーワン創生費用を設置
②研究環境の整備
-学部を超えた研究者交流(文理融合研究)、任期付き学外研究者の採用(学長裁量ポストの活用)
③研究費の確保
-科研費の確保、産学連携による科研費確保
-和歌山大学基金の創設による研究費確保(初年度は約6000万円確保)
(内訳)学長、理事、学部長他教職員合計1000万円、大口寄附は柑芦会、大和証券、パナソニック、島精機、ノーリツ鋼機、オークワ等の大学外部合計5000万円、他
<大学院の整備>
・大学院教育体制の整備
-高度専門職業人や地域リーダーを育成する等、各研究科の基本理念を明確化し、入学定員を確保する。
<地域貢献・社会貢献>
・地域貢献、社会貢献を大学の第3の基本機能と位置づけ積極的にアプローチし、自治体、各種団体と連携して、可能な限り貢献してきた。
・紀南、岸和田、橋本にサテライトを開設。その結果、平成19年度に近畿地区94国公私立大学の内、地域貢献度No.1に選出された。
<国際交流>
・国際交流センターの設置を目指し、平成16年に国際教育研究センターを設置
・外国大学との協定を増やし、学術・学生交流の活性化を推進
・外国人を招聘し国際後援会・シンポジュウムの開催を推進
・外国人教員の積極的登用および若手教員を中心に海外派遣を活性化させる。
現在、経済学部では、3人の外国人教師が在職している。
<管理運営の改善>
①効率的大学運営
-5%ルールの実施・・・成功率の高い案件を実施しても得られる利益が少ない。成功率が低い(5%)案件を実施して高い利益を確保できるよう実施すること。
・観光学部の設置、教員メッセ、学外サテライト、学長の定例記者会見、コスト削減策等
-コスト削減
・管理費(水道光熱費を平成16年度より毎年5%削減)
・人件費(非常勤講師採用、教務システムの機械化により年間20%人件費削減)
・文具等の購入削減 他
-予算の投資的配分
・平成16年の法人化導入後、公会計制度から企業会計制度への転換により、運営交付金
を経費的に使用するのではなく、投資的発想で運用することを実施した。しかし、国の
規制が厳しく、株式投資等は禁止され、利子確定の定期預金等に限定された。大学の運
営には、今も様々な規制があり、これらの悪しき規制を如何にして緩和するかが、小田
先生と国との闘いであったが、弱小大学の学長では如何ともし難いことが多々あった。
この点は今もって痛恨の極みであるとのことでした。
・予算配分の重点化・・・学長裁量経費によって配分
②教職員の評価
-教育力、研究力の向上のため、教員を査定し、その結果を平成22年度より評価に反映
③研修制度
-キャリアアップのため職員を企業に派遣(スーパーオークワに3ケ月企業派遣)
④人材採用・・・3種類の採用試験実施
-通常公募・・・公務員試験・・・従来通りの方式
-一般人・・・・論文と面接
-非正規職員・・論文と面接
⑤広報
-学長による定例記者会見・・・年に10回程度
・金を掛けずに如何に広報するかを念頭に実施した結果、毎年500件前後の情報がメディアで掲載され、大学の知名度がアップし、宣伝効果があり、年間6000万円程度の宣伝効果があった。
-HP.メルマガ等の広報誌の発行を実施
-地元ラジオ局(和歌山放送)で半年の広報番組を流した。
これら経営者目線での改革には内外の様々な勢力の抵抗がありつつも、その後の和歌山大学の発展に大いに寄与してきました。特に、地域(和歌山県、和歌山市)、行政(文科省)等を巻き込んで和歌山大学の個性化、ブランド化の推進の最たるものが、国公立大学初の観光学部の新設(平成20年・2008年)です。この観光学部設置は世間の耳目を集め和歌山大学の存在を改めて世間に知らしめることとなりました。
学部設置には、通常は学科からスタートし少なくとも4年以上の歳月がかかるそうですが、和大では経済学部の1学科としてスタートした観光学科が翌年には学部昇格となっており異例ともいえる速さです。この背景には、2003年に小泉政権がインバウンドを倍増させる「観光立国」を宣言したこともあるようですが、小田先生は経営学者として「観光に携わる人材が不足する」と分析されました。と同時に「地域社会に応える大学」を目標に行政との連携を深められていき、地域のイメージアップを大学が率先して図る役割を推進されると同時に、他大学と同じではなくオンリーワン分野の構築、大学の個性化、ブランド化を推進されたことが大きいのではないかと思います。
また、観光学部設置に際しては、学内の会合で観光学部設置の案件を提案しても恐らく100%反対されるものとの想いから、すでに存在していた学長定例記者会見を利用されました。平成16年の5月の記者会見の後、記者に「観光学部を創りたいと個人的に思っている」と私見と断りながら提案されました。翌日の新聞各紙、テレビ局やラジオ局も一斉にそのことを報じたそうです。学内は蜂の巣をつつくような大騒ぎになったが、これを契機として新学部設置がスタートしたとのことでした。この新学部は4年という異例の早さで設置されましたが、これは勿論小田先生の働きもあったようですが、先生曰く、「和歌山選出の衆議院議員・二階俊博先生のお力なくしては実現できなかった」と述懐されています。
なお、観光学部は学舎統合(1985年・昭和60年)後に栄谷に設置されていますが、商業施設の撤退やぶらくり丁商店街のシャッター通り化で空洞化の進む和歌山市内を活性化するために、観光学部の講義室・研究室を市中心部にあった伏虎中学校の空き校舎をリニューアルして使用することで当時の市長から快諾を得ていました。和歌山市も目玉事業として推進し、文科省にも報告済であったものを、市当局が一転して消極的になり計画が頓挫したとのことです。
小田先生は、この観光学部設置前(平成10年~13年)に「公立和歌山市立大学(仮称)」の開設に準備委員長として関わっておられ、9分9厘設置されるところまで進んだにもかかわらず、当時の市長の行動によってご破算になったこともあり、観光学部は何としてもぶらくり丁周辺にとの想いも強かったようでした。
小田先生は大学のこれからの生き残り戦略、和歌山大学、和歌山大学経済学部の生き残りのためには次のような施策が必要ではないかと提言されます
1.大学が生き残るには、単に存在するというだけではなく、社会にその存在感および必要性を認
知され、多くの受験生の目指す大学になること。
2.国立大学であることを再認識すること。公立、私立との差別化が必要。
・国立はいずれ30~40大学程度に縮小されることが想定される
-大阪外大+阪大、神戸商船大+神戸大は既に統合済み。近い将来、岐阜大+名大が統合
・公立は再編統合が進展
・私立は弱肉強食の時代に入り、再編統合、吸収合併、公立化の波が押し寄せる。
3.和歌山大学が生き残るためには次のような作戦を進める必要がある。
・オンリーワン大学になること。
-観光学部の創設・・・国立大学としては、平成20年に琉球大学と共に設置されました が、琉球大学の学部は現在閉鎖され、和大観光学部は国立大学87大学では唯一の学部となっています。
・学部間の自立と競争を進めること。
・ホールディング・ユニバーシティ(H・U)構想を検討すること。
-合併ではなく、強力な大学間連携の構築(ex.東海国立大学機構傘下の岐阜大と名大)
・社会のニーズを先取りし、それに対応出来る体制を構築すること。
-高校生&保護者(入口)と企業等(出口)のニーズを徹底的に調査する。
4.和歌山大学経済学部の生き残りのためには、経済学研究科を如何に立て直すかが焦眉の課題。
・小田先生によると、今の経済学部の教員数が最大の時に比べて6割位になっている。これでは
1300人を超える学生の教育に支障を来すと心配されています。唯、今教員数を元に戻すことは難しいであろうから経済学部が目指すところを再構築するべきと指摘されます。高商時代の教育体制を活かしながら、現在に即した人材を輩出するための体制を創出するべきと。その一つが、学部・大学院の一体化、外部の企業・公的機関等とタイアップした制度をつくる必要があるとのことです。そのためには、今も存在する小田先生発案による「エキスパートコース」に戻り、その徹底化を図ることも肝要と言われます。つまり、他大学との差別化を図りうるような戦略を考えるべきと指摘されています。
・また、経済学研究科を「食と農総合研究科」に組み直し、将来的に経済学部を廃止し、「農学部」設置を目指すのではないかと危惧しているとのことでしたが、この方向は解消されたと のことです。
和歌山大学経済学部は柑芦会会員の出自であり、その大学あるいは学部が雲散霧消してしまうのは、誠に以って耐え難いことであります。
今後どのような大学再編があるか計り知れません。我が母校・学部だけが難を逃れるのは大変厳しいと思いますが、いろんな方面から和歌山大学経済学部のおかげで今の発展があるといわれるような学部になって頂きたいものです。
そのためには、柑芦会会員が、母校に協力し研究の助成、奨励のために物心両面で援助していくことが必要と思います。
幸い、柑芦会とは別の(一財)和歌山大学経済学部後援会から現在でも毎年一定額の研究の助成、奨励のために財政的支援をしておりますが、中身を精査し更に有効な財政的支援が出来ないか検討することも必要ですし、会員個人が和歌山大学基金を通じてあるいは柑芦会を通じて大学あるいは経済学部に支援することも可能ですので、お互い前向きに取り組みたいものです。
あわせて、柑芦会を通じてあるいは直接的にでも大学あるいは学部に対して建設的な意見を申し上げることも必要であると思います。
以上
ぶらくり会世話人 柑芦会神戸支部 平林 義康(大学20期)
開催日時:11月16日(水)午後2時00分~午後5時
開催場所:神戸市産業振興センター 801会議室
講師:小田 章(おだ あきら)先生
元和歌山大学学長
元和歌山大学経済学部長
(略歴)
1943年(昭和18年)大阪市生まれ
1962年(昭和37年)大阪府立清水谷高校卒業
1971年(昭和46年)神戸大学大学院経営学研究科博士課程1年退学、
経営学修士(ドイツ経営学)
1971年(昭和46年)和歌山大学経済学部助手
1985年(昭和60年)和歌山大学経済学部教授
1995年(平成 7年)和歌山大学経済学部長
2001年(平成13年)和歌山大学副学長
2002年(平成14年)和歌山大学長就任(第14代)
2009年(平成21年)和歌山大学長退任
2010年(平成22年)和歌山市長選立候補
2018年(平成30年)瑞宝中綬章受章
講演テーマ:『和歌山大学経済学部の変遷と今後の展開について』
出席者数:17名
11月度ぶらくり会は和歌山大学長および和歌山大学経済学部長を歴任された小田章先生に講師となって頂き、和歌山大学および和歌山大学経済学部のこれまでの歩みと今後の進むべき道あるいは進むであろう方向について先生のお考えを拝聴しましたのでその概要を報告したいと思います。
先生のお話をご披露する前に、先ずは、和歌山大学経済学部を中心に、和歌山大学のこれまでの歩みをおさらいしたいと思います。
皆様ご存知のように和歌山大学経済学部は1922年(大正11年)に設立された和歌山高等商業学校にそのルーツがあります。それ以来97年の歳月の中で様々な変遷がありました。
まずは、国立大学設置法により1949年(昭和24年)に国立大学和歌山大学経済学部が誕生します。その後、1964年(昭和39年)に経済学科と経営学科の2学科が、翌年1965年(昭和40年)には産業工学科が設置され、経済学部は3学科から成り立つこととなりました。
経済学部の一学科であった産業工学科は、経済短期大学部の閉学に伴い設置された社会システム設計学科とともに1995年(平成7年)にシステム工学部に、その際、新たに経済学部に設置された夜間コース(定員60名)を廃止し、2007年(平成19年)に経済学部の一学科として観光学科が設置され、翌年には観光学部として誕生しました(2008年(平成20年))。
各学部の学科は最も多いときで経済学部が5学科、システム工学部が5学科、観光学部が2学科ありましたが、2014年(平成26年)から2015年(平成27年)にわたってそれぞれ1学科に再編されました(経済学科、システム工学科、観光学科)。
一方、大学院につきましては、1965年(昭和49年)に経済学研究科、2000年(平成16年)にシステム工学研究科、2011年(平成23年)に観光学研究科のいずれも修士課程が設置されていますが、その後、博士課程が設置されたのは、システム工学研究科と観光学研究科だけであり、残念ながら経済学研究科には未だ博士課程が設けられておりません。
和歌山大学経済学部をベースとする各学部の大まかな歩みは上記の通りですが、1987年(昭和62年)に、経済学部と教育学部に加えて第3の学部(現システム工学部)を設置するために、文科省の指示で学舎統合が行われ、経済学部は高松キャンパスから、教育学部は吹上キャンパスから栄谷キャンパスへと移転統合しました。更に、2004年(平成16年)には、我が国の国立大学には法人化という大きなうねりが押し寄せ、すべての国立大学が右往左往の状態に陥りました。その法人化の渦の中でのカジ取りに力を発揮されたのが小田先生であったわけです。
それでは、小田先生のご講演の概要を報告致します。
小田先生は経済学部長、副学長、学長時代を通じて様々な改革を推進されてきたそうですが、学長時代に推進された主なものを先生のご用意されたレジュメから抜粋します。
<教育分野>
①学生満足(SS=Student Satisfaction)をスローガンとして掲げ、そのため以下の各施策を推進(企業でいうところのCS(顧客満足))
-学生のニーズにあったカリキュラム編成
-教育力向上のために教員の意識改革
-無休講・授業時間の厳守
-教務システムの全学統一化・・・人件費削減、他
②人材育成の推進
-深い知力、洞察力を持ち、豊かな人間力を持った人材を輩出させる。
③新しい教育システムの構築
-モデル的教育システムの開発
経済学部にエキスパート・コースを設け、学習意欲の高い学生に高度な知識を提供すると
いうもの(最初は390人中60人を選抜)・・・学部内で少人数教育を実施し、最終的
には学部生全員に拡大することを意図している。
-全学協力体制の実現
学部間受講規制の緩和、学部間移動の緩和(転学部制度)、教養教育の全学実施体制の強
化
-教員による教員の授業参観・・・教員力アップ作戦
<研究分野>
①オンリーワン教育の支援
-文科省のCOEを獲得する研究を支援
(COE=Center of Excellence、世界最高水準研究教育拠点)
-外部評価制度を導入して大学内COEを立上げ、オンリーワン創生費用を設置
②研究環境の整備
-学部を超えた研究者交流(文理融合研究)、任期付き学外研究者の採用(学長裁量ポストの活用)
③研究費の確保
-科研費の確保、産学連携による科研費確保
-和歌山大学基金の創設による研究費確保(初年度は約6000万円確保)
(内訳)学長、理事、学部長他教職員合計1000万円、大口寄附は柑芦会、大和証券、パナソニック、島精機、ノーリツ鋼機、オークワ等の大学外部合計5000万円、他
<大学院の整備>
・大学院教育体制の整備
-高度専門職業人や地域リーダーを育成する等、各研究科の基本理念を明確化し、入学定員を確保する。
<地域貢献・社会貢献>
・地域貢献、社会貢献を大学の第3の基本機能と位置づけ積極的にアプローチし、自治体、各種団体と連携して、可能な限り貢献してきた。
・紀南、岸和田、橋本にサテライトを開設。その結果、平成19年度に近畿地区94国公私立大学の内、地域貢献度No.1に選出された。
<国際交流>
・国際交流センターの設置を目指し、平成16年に国際教育研究センターを設置
・外国大学との協定を増やし、学術・学生交流の活性化を推進
・外国人を招聘し国際後援会・シンポジュウムの開催を推進
・外国人教員の積極的登用および若手教員を中心に海外派遣を活性化させる。
現在、経済学部では、3人の外国人教師が在職している。
<管理運営の改善>
①効率的大学運営
-5%ルールの実施・・・成功率の高い案件を実施しても得られる利益が少ない。成功率が低い(5%)案件を実施して高い利益を確保できるよう実施すること。
・観光学部の設置、教員メッセ、学外サテライト、学長の定例記者会見、コスト削減策等
-コスト削減
・管理費(水道光熱費を平成16年度より毎年5%削減)
・人件費(非常勤講師採用、教務システムの機械化により年間20%人件費削減)
・文具等の購入削減 他
-予算の投資的配分
・平成16年の法人化導入後、公会計制度から企業会計制度への転換により、運営交付金
を経費的に使用するのではなく、投資的発想で運用することを実施した。しかし、国の
規制が厳しく、株式投資等は禁止され、利子確定の定期預金等に限定された。大学の運
営には、今も様々な規制があり、これらの悪しき規制を如何にして緩和するかが、小田
先生と国との闘いであったが、弱小大学の学長では如何ともし難いことが多々あった。
この点は今もって痛恨の極みであるとのことでした。
・予算配分の重点化・・・学長裁量経費によって配分
②教職員の評価
-教育力、研究力の向上のため、教員を査定し、その結果を平成22年度より評価に反映
③研修制度
-キャリアアップのため職員を企業に派遣(スーパーオークワに3ケ月企業派遣)
④人材採用・・・3種類の採用試験実施
-通常公募・・・公務員試験・・・従来通りの方式
-一般人・・・・論文と面接
-非正規職員・・論文と面接
⑤広報
-学長による定例記者会見・・・年に10回程度
・金を掛けずに如何に広報するかを念頭に実施した結果、毎年500件前後の情報がメディアで掲載され、大学の知名度がアップし、宣伝効果があり、年間6000万円程度の宣伝効果があった。
-HP.メルマガ等の広報誌の発行を実施
-地元ラジオ局(和歌山放送)で半年の広報番組を流した。
これら経営者目線での改革には内外の様々な勢力の抵抗がありつつも、その後の和歌山大学の発展に大いに寄与してきました。特に、地域(和歌山県、和歌山市)、行政(文科省)等を巻き込んで和歌山大学の個性化、ブランド化の推進の最たるものが、国公立大学初の観光学部の新設(平成20年・2008年)です。この観光学部設置は世間の耳目を集め和歌山大学の存在を改めて世間に知らしめることとなりました。
学部設置には、通常は学科からスタートし少なくとも4年以上の歳月がかかるそうですが、和大では経済学部の1学科としてスタートした観光学科が翌年には学部昇格となっており異例ともいえる速さです。この背景には、2003年に小泉政権がインバウンドを倍増させる「観光立国」を宣言したこともあるようですが、小田先生は経営学者として「観光に携わる人材が不足する」と分析されました。と同時に「地域社会に応える大学」を目標に行政との連携を深められていき、地域のイメージアップを大学が率先して図る役割を推進されると同時に、他大学と同じではなくオンリーワン分野の構築、大学の個性化、ブランド化を推進されたことが大きいのではないかと思います。
また、観光学部設置に際しては、学内の会合で観光学部設置の案件を提案しても恐らく100%反対されるものとの想いから、すでに存在していた学長定例記者会見を利用されました。平成16年の5月の記者会見の後、記者に「観光学部を創りたいと個人的に思っている」と私見と断りながら提案されました。翌日の新聞各紙、テレビ局やラジオ局も一斉にそのことを報じたそうです。学内は蜂の巣をつつくような大騒ぎになったが、これを契機として新学部設置がスタートしたとのことでした。この新学部は4年という異例の早さで設置されましたが、これは勿論小田先生の働きもあったようですが、先生曰く、「和歌山選出の衆議院議員・二階俊博先生のお力なくしては実現できなかった」と述懐されています。
なお、観光学部は学舎統合(1985年・昭和60年)後に栄谷に設置されていますが、商業施設の撤退やぶらくり丁商店街のシャッター通り化で空洞化の進む和歌山市内を活性化するために、観光学部の講義室・研究室を市中心部にあった伏虎中学校の空き校舎をリニューアルして使用することで当時の市長から快諾を得ていました。和歌山市も目玉事業として推進し、文科省にも報告済であったものを、市当局が一転して消極的になり計画が頓挫したとのことです。
小田先生は、この観光学部設置前(平成10年~13年)に「公立和歌山市立大学(仮称)」の開設に準備委員長として関わっておられ、9分9厘設置されるところまで進んだにもかかわらず、当時の市長の行動によってご破算になったこともあり、観光学部は何としてもぶらくり丁周辺にとの想いも強かったようでした。
小田先生は大学のこれからの生き残り戦略、和歌山大学、和歌山大学経済学部の生き残りのためには次のような施策が必要ではないかと提言されます
1.大学が生き残るには、単に存在するというだけではなく、社会にその存在感および必要性を認
知され、多くの受験生の目指す大学になること。
2.国立大学であることを再認識すること。公立、私立との差別化が必要。
・国立はいずれ30~40大学程度に縮小されることが想定される
-大阪外大+阪大、神戸商船大+神戸大は既に統合済み。近い将来、岐阜大+名大が統合
・公立は再編統合が進展
・私立は弱肉強食の時代に入り、再編統合、吸収合併、公立化の波が押し寄せる。
3.和歌山大学が生き残るためには次のような作戦を進める必要がある。
・オンリーワン大学になること。
-観光学部の創設・・・国立大学としては、平成20年に琉球大学と共に設置されました が、琉球大学の学部は現在閉鎖され、和大観光学部は国立大学87大学では唯一の学部となっています。
・学部間の自立と競争を進めること。
・ホールディング・ユニバーシティ(H・U)構想を検討すること。
-合併ではなく、強力な大学間連携の構築(ex.東海国立大学機構傘下の岐阜大と名大)
・社会のニーズを先取りし、それに対応出来る体制を構築すること。
-高校生&保護者(入口)と企業等(出口)のニーズを徹底的に調査する。
4.和歌山大学経済学部の生き残りのためには、経済学研究科を如何に立て直すかが焦眉の課題。
・小田先生によると、今の経済学部の教員数が最大の時に比べて6割位になっている。これでは
1300人を超える学生の教育に支障を来すと心配されています。唯、今教員数を元に戻すことは難しいであろうから経済学部が目指すところを再構築するべきと指摘されます。高商時代の教育体制を活かしながら、現在に即した人材を輩出するための体制を創出するべきと。その一つが、学部・大学院の一体化、外部の企業・公的機関等とタイアップした制度をつくる必要があるとのことです。そのためには、今も存在する小田先生発案による「エキスパートコース」に戻り、その徹底化を図ることも肝要と言われます。つまり、他大学との差別化を図りうるような戦略を考えるべきと指摘されています。
・また、経済学研究科を「食と農総合研究科」に組み直し、将来的に経済学部を廃止し、「農学部」設置を目指すのではないかと危惧しているとのことでしたが、この方向は解消されたと のことです。
和歌山大学経済学部は柑芦会会員の出自であり、その大学あるいは学部が雲散霧消してしまうのは、誠に以って耐え難いことであります。
今後どのような大学再編があるか計り知れません。我が母校・学部だけが難を逃れるのは大変厳しいと思いますが、いろんな方面から和歌山大学経済学部のおかげで今の発展があるといわれるような学部になって頂きたいものです。
そのためには、柑芦会会員が、母校に協力し研究の助成、奨励のために物心両面で援助していくことが必要と思います。
幸い、柑芦会とは別の(一財)和歌山大学経済学部後援会から現在でも毎年一定額の研究の助成、奨励のために財政的支援をしておりますが、中身を精査し更に有効な財政的支援が出来ないか検討することも必要ですし、会員個人が和歌山大学基金を通じてあるいは柑芦会を通じて大学あるいは経済学部に支援することも可能ですので、お互い前向きに取り組みたいものです。
あわせて、柑芦会を通じてあるいは直接的にでも大学あるいは学部に対して建設的な意見を申し上げることも必要であると思います。
以上
ぶらくり会世話人 柑芦会神戸支部 平林 義康(大学20期)